忠 度 の 都 落ち 品詞 分解。 日本古典文学摘集 平家物語 巻第七の一六 忠度都落 原文

うつほ物語(宇津保物語)|日本古典文学全集・日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典

[中野幸一] 平安中期(10世紀末)の作り物語。

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こてんこてん蔵庫5(その5)

元暦の大地震• [自害をせんずれば] 自害をしようと思っているので。 逢うのを待つ間に焦がれ死にしてしまったら、相手からもわたしの心中を知られずに本当に口惜しく情けないことでした」 と、またよよと泣きだすのを、夜は短いのだからまた明日のことにして、と慰めて、ともに枕につきました。 此の御門、未だ物などはかばかしく宣はぬ程の御齢なりける時、誰とかや、「前の世はいかなる人にておはしましけん」と、只何となく聞えたりけるに、彼の泉湧寺の開山の聖の名をぞ、たしかに仰せられたりける。

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方丈記 全章徹底解読 音声つき

大臣は更にもいはず。 特に平安時代以前に成立した作品では可能の意味をもつ「る」 「らる」の大部分は打消の助動詞を伴って不可能の意を表した。 大かた、いにしへ奈良の御門の御代に、はじめて、左大臣橘朝臣勅をうけたまはりて、万葉集を撰びしよりこのかた、延喜のひじりの御時の古今集、友則・貫之・躬恒・忠岑。 夥しともいふ方なし。 かくて年変はりぬれば、寛元元年と聞ゆ。 [現代語訳] 忠度がおっしゃるには、 「数年来、和歌のご指導をいただいてから、(和歌のことは)粗略にお思いすることはありませんが、 この二、三年は、京都での騒ぎや、国々の乱れがあり、 すべて当家(=平家)の身の上のことですので、 和歌をおろそかにはしなかったのですが、変わらず参上することもできませんでした。

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増鏡

(それを)鎧の引き合わせから取り出して、俊成卿に差し上げる。 御下向の後は、やがて賀茂に御幸、平野、北野なども、さだまれる御事なり。 侍中・侍郎郭攸之・費褘・董允等、此皆良實、志慮忠純。

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